第十八回 華雪さん(書家)

Share on Facebook0Tweet about this on TwitterShare on Tumblr0Share on Google+0

kasetsu1

個性豊かな作家さん、アーティスト、取引先の皆さんと毎日のように関わりながら成り立っている当店。そんな人々を探れば自ずと店の輪郭までもが浮かび上がるのではないかということで、スタートしました連載「いちじょうじ 人間山脈」。

今回は、全国で展覧会をしつつ、ワークショップや書のパフォーマンスなども行う書家の華雪さんにお話を伺いました。地元京都を離れ、東京に移られてからますます活動の場が広がっている華雪さん。個人的にも長い付き合いとはいえ、じっくりと書のお話を聞くのは今回が初めてのこと。恵文社との最初の付き合いから語っていただきました。

―恵文社とはずいぶん長いお付き合いになると思うのですが、そもそも恵文社で展示されたきっかけなど教えていただけますか?

実は記憶があいまいなのですが、憧れの本屋さんであったのは間違いないです。恵文社では、人はもちろん、ほんとうにいろんなものに出合いました。恵文社が、わたしにとって、ぐんと近い存在になったのは、やっぱり展示をしたことです。展示をやってみたいと、しばらくどうしようどうしようと悩んだ末、ある時、思い切って、資料を持って行ったのだったと思います。「展示、決まりました」と電話をもらったときは、素朴に嬉しかったですね。その展示が叶って*1、会期の最終日に、山下さん*2に話しかけてもらったことが、わたしにとって恵文社が親しい距離になったはじまりです。

kasetsu2

―一つの文字を書くために、字源から辿っては考えて、何度も書いては棄てを繰り返して、華雪さんの書は生まれている感じがします。その工程自体が既に作品のような。そういったプロセスを経て出た文字は、嘘がない、「生の文字」のように感じることさえあります。そのようなスタイルをとるようになったのはなぜですか?

子どもの頃から「どうしてその字を書くのか?」ということを問う先生の元で字を書いていて、繰り返し書くということは、その時からのやり方です。このやり方はずっと変わらないと思っていたんですが、最近、その「時」にどうしても書き留めておかねばという思いが強くなって来て、繰り返し書くのではなく、あえて初期衝動が息づく最初に書いたもの、あるいはその次に書いたものを残しています。
ただ、気をつけているのは、書くべき『大きさ』です。大きすぎる紙に書くと、その衝動は暴力的なものになってしまう。今まで繰り返し書くことで抑えていた、余分な感情や衝動を、今はサイズを落とすことで、抑えている気がします。用いる道具も、傍に転がっていた鉛筆だったり、書くための特別な時間をつくるのではなくて、日常の時間から地続きの場所で書くようにしています。そうすることで、繰り返し書くことで現れるものとは違う『生の文字』になっている気がしています。

kasetsu3
『絵の中の散歩』洲之内徹(新潮社)

―では最後に、座右の書を教えていただけますか?

洲之内徹の本『きまぐれ美術館』シリーズとの出合いは、新潟で展示をするきっかけになった美術評論家、大倉宏さんを通じてでした。
洲之内は、その晩年、新潟に足繁く通う時期がありました。彼の人生の後半が、なにもかもと思えるほどに書き尽くされた『きまぐれ美術館』の文章を読み、その中に描かれる新潟に、私が展示を通じて現実に焦がれるように好きになった新潟とは別の『新潟』を見ました。そして彼の、絵や人や景色を、そして自分の生きている時間を見つめる親しみと冷たさが混ざり合う独特の文章に触れる度、「みる」ということ、生きて何を見ているのかという問いを突き付けられるような経験があります。

WEBサイト:http://www.kasetsu.info/

*1 1999.11 「ここ」 ギャラリーアンフェールにて開催された篆刻作品のみの展覧会。
*2 銅版作家の山下陽子さん。恵文社でも作品を取り扱っています。

(インタビュー/原稿/写真:七里知子 写真:風間忠雄・華雪)